はじめに

趣味としてのコンピュータ作り

1962年に米国テキサスインスツルメンツ社が標準ロジックIC(ANDゲートやORゲート等の半導体素子)の製造を開始しました。これらの標準ロジックICは1970年頃には日本でも個人で購入できる様になりました。同時にこれらのIC同士を手ハンダで接続し、コンピュータを作る兵(つわもの)達が現れました。

しかし標準ロジックは入手できてもコンピュータの製作に不可欠な半導体メモリは非常に高価な品であり、学生や普通の会社員のお小遣い程度の予算で製作可能なコンピュータは「1から10までの和を求める」とか「石取りゲーム(nim)」等の簡単な処理を行うのがやっとでした。

やがて、半導体メモリの価格は急激に下落しましたが、その頃には8080やZ80等のマイクロプロセッサも個人で容易に入手可能な価格となり、個人の趣味としてのコンピュータ作りは「標準ロジック主体」から「マイクロプロセッサの利用」にシフトしていきました。

1990年頃には、個人でもコンピュータを購入したり、あるいは半完成品(ATX規格品)のコンピュータを組み立てることも容易となり、「標準ロジックでコンピュータを自作する」という「精神」は世の中から消えていきました。それでも、極々一部のマニアは標準ロジックのみでコンピュータを作り続けました。筆者もそんなマニアの一人です。

コンピュータの定義とコンピュータの性能

コンピュータの定義を厳密に明文化した文章はありそうで実はどこにもありません。中には「コンピュータ=電子計算機」とした上で、「電子の動きを利用して高速な計算やデータ処理ができる装置」の様な極めて曖昧な定義を堂々と書いている辞書すらあるのが現状です。

そこで本書では筆者の独断ではありますが、コンピュータの定義を「ハードウエアを一切変更することなく、ソフトの入替えのみで『C言語のコンパイラ』と『インベーダーゲーム』の様に全く異なる処理を行える装置」とします。

但し、ここで一つ問題となるのが『C言語のコンパイラ』と『インベーダーゲーム』ではなく、『1から10までの足し算』と『カップ麺タイマー』でもコンピュータと呼べるのかという疑問です。

筆者個人としては、それも立派な「コンピュータ」だと思います。但し「実用的なコンピュータ」と呼ぶには程遠い気がします。実用性も要求するなら、最低でも「素数を100個求める」とか「円周率を100桁求める」程度の処理性能が必要だと思います。

RETROFとは

RETROFとは「温故知新(おんこちしん)」に相当する英単語として、RETRO(懐古趣味)とFUTURE(未来)を合成した筆者の造語です。

「温故知新」とは、これは紀元前552年生れの春秋時代の中国の思想家・哲学者の孔子(こうし)の言葉で、和訳は「故(ふる)きを温めて新らしきを知る」です。

そしてその意味は「以前に学んだ事や昔の事もう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること」です。


本書で用いたRETROFという言葉は、「4004や8080等のマイクロプロセッサがなかった時代(具体的には1972年を想定)のコンピュータを現代の技術で蘇らせたらどんなコンピュータができるか」という純粋な疑問に端を発する筆者個人の趣味としてのプロジェクトと、そこで生まれた作品群の総称です。

「74シリーズ」と「標準ロジック」

本書では米国のテキサスインスツルメンツ社(以下TI社)が開発した「SN74」で始まる型番の論理素子を「74シリーズ」と呼びます。これにはセカンドソース(TI社以外が作った互換品)を含みます。

「標準ロジック」は、厳密には「74シリーズ」よりやや広い意味(74シリーズ以外の論理素子を含む)になりますが、事実上74シリーズ以外の標準ロジックはその殆どが製造中止品であるため、本書では「標準ロジック」と「74シリーズ」と特に断りがない限り同じ意味で用います。

RETROFシリーズの製作における原則

RETROFシリーズは、その設計や製作にあたり以下の3つの原則を貫いています。

かなり厳しい条件ですが、この3つの条件のどれか1つでも外した作品ならば、1960年代以降、多くの諸先輩達が多くの作品を完成させています。『今更同じものを作っても面白くない』という筆者の「意地」の様な物をこの3つの原則から読み取って頂けたら幸いに存じます。